旧父の日? 『父という余分なもの サルに探る文明の起源』(山極寿一著/新潮文庫)から再発見した「対話の力」

 

旧正月にならい「旧父の日」と勝手に名付けたとしても、

あまりに遅ればせになりました……父の日ネタですm(__)m

 

母の日には、こちらの2本(冊)をご紹介しました。

 

 

公平性の観点から(やや大げさ笑)、

父親にまつわる本も紹介しよう~と温めていたのですが、

2か月以上経ち、やや温め過ぎました😖

 

今回ご紹介するのは、『父という余分なもの サルに探る文明の起源』です。

著者は、京都大学の総長も務められた霊長類学者・人類学者の山極寿一氏。

 

本書は、

「多くの動物たちは父親がいなくても差し支えのない社会生活を営んでいるし、

実際父親が不在の社会もたくさんある」

「なぜ、かくも人類は父親という存在にこだわり続けてきたのだろうか」

という、パンチの効いた問いかけから始まります(p.11-12)。

(ちなみにサルの話ですが、パンチくんは出て来ません笑)。

 

そして中盤(p.224~)、

文芸評論家の三浦雅士(まさし)氏との対談編に入ってからが、

俄然面白くなります(個人的な感想です笑)。

 

たとえば先ほどの問い、

「かくも人類は父親という存在にこだわり続けてきたのか」のヒントになるのが、

こちらの視点です。

 

「ゴリラにしか社会学的父性はない。チンパンジーにもボノボにもない」(p.265)

「生物学的には、父親というのは必然性がない」。

 

生物学的には絶対に不可欠というわけではない「父親」。

だからこそ、その存在意義を維持するために、

ヒトは集団的な認知や文化的意味付けによって

「父」という役割を保ってきたのだそうです(p.266)。

 

ほかにも、数々の興味深いエピソードが語られています。

 

例えば、ゴリラもチンパンジーも生殖欲求が出て来ると、

メスが他のオスの集団へと渡り歩きます(p.267)。

一見、知らない場所に行くと人(サル?)見知りをしそうですが、

実は霊長類全般に「異邦人(サル?)に惹かれる」傾向があるため、

問題ないのだとか(p.269)。

 

そこから話が展開し、

「では、日本人が外国人タレントを好きなのは…」

「サルの時からですよ(笑)」(p.270)

なんてやり取りもあって、対談(対話)ならではの面白さが至る所に。

 

実際、本書が文庫化されたきっかけも、

作家の小川洋子氏との対談(対話)だったそうです(p.317)。

 

そして「対話」といえば、まさにカウンセリングそのものですね。

 

アンダーソン・グーリシャン・野村(2013)*は、次のように述べています。

 

「私たちがお互いを深く理解するというのは、
 
相手を個人として理解するのではなく、
 
表現されたものの総体として理解するのである」
 
「(それは)膨大に残る『まだ表現されないで残る領域』の中に
 
資源として残されている」
 
「セラピストの役目は、言葉と意味を創り出す過程に参加し、
 
対話が途切れないように計らうことで対話を保つこと、
 
会話を続けていくことにある」

 

つまり、私たちは相手の「表現されたもの」を通して理解を深めていきます。

そして、まだ言葉になっていない大切な気持ちや意味は、

対話を続け、会話を紡いでいくプロセスの中から立ち現れてくるのです。

 

「誰も自分のことをわかってくれない」。

そんな風に感じた時は、対話を重ね、

一人では言葉にならなかった大切な思いを形に、

一緒に分かち合いにお越し下さい。

 

安心してお話し頂ける場をご用意して、

心よりお待ちしています♪

 

*ハーレーン・アンダーソン,ハロルド・グーリシャン,野村直樹(2013).協働するナラティヴ―グーリシャンとアンダーソンによる論文「言語システムとしてのヒューマンシステム」.遠見書房

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