コロナ禍を経て、実に十数年ぶりの新作なんだそうです、
表題を含む全5話からなる、Dr.伊良部シリーズ『コメンテーター』。
当時、テレビドラマ化されていた『Dr.伊良部一郎』も強烈でした。
十数年経った今、新作を読んでいても、
あの時の余貴美子さんの三ニスカ看護師姿が蘇って、
頭にチラついて離れません(笑)。
今回もトンデモない(すごい?!)(笑)。
ちゃんと話を聴かないのに(だからこそ?!)、
患者のひどいチックが、いつの間にか止んでいたり(「コメンテーター」)。
Dr.伊良部:「すぐに怒るのも問題だけど、ちゃんと怒らないのも問題なの」。
「対立を避けて口をつぐんじゃう。それで怒りを溜め込んで、
自身の中で爆発しちゃうわけ。
福本さんの過呼吸やパニック障害はそこから来てるのね。
だから治すのは簡単。怒ればいいの」と、
あおられ(あおりではなく)運転をしてムチ打ちになったり(「ラジオ体操第2」)。
そしてまさに、我々過剰適応傾向者的、
真面目さゆえに、広場恐怖(閉ざされた空間が怖い。動悸がして、意識が遠のきかける…)で、新幹線ののぞみに乗れなくなった、ピアノ奏者友香の章では、
友香:「子供の頃から、人に迷惑をかけるなって躾けられたんです」。
「子供の頃から素直だった自分は、ずっと優等生を演じてきた。
親やピアノの先生の期待に応えようと、いろんなことを我慢してきた。
突き指が怖くて、体育の時間、バレーとバスケは見学に回っていた」。
Dr.伊良部:「真面目だなあ。その真面目さが病気の原因なんだけどなあ」。
「まあ、深刻に考えないことだね。死に至る病じゃないんだから。
公演地にたどり着けなくても、たかが演奏会がキャンセルされるくらいでしょ?」
「責任感の強さが心の病の大敵なの。
アーティストなんだから、もっと我儘でいいんじゃない?」
「まずは遅刻することだね。
約束の時間前に着いたら自分にペナルティー。やってみて」。
こんなこと言われたら、「ここは失敗だったか」。
「ピアノの先生同様、医者にもあたり外れがある」と、友香が思うのも当たり前。
でも最後は、「ま、いっか」という気になって、
演奏前にビールを飲むまでに回復(!?)してしまうのだ。(「ピアノ・レッスン」)
こんなキテレツ治療でも(だから?!)、
「話をして心が軽くなった感じはあった」
「自分が変わり始めていることも感じた」と、患者たちは一様に言い、
最後は、チックも過呼吸も広場恐怖も引きこもりも社交不安etc…も、
なんだか皆克服というか、自然治癒というか、
我々が本来持つ力を最大限発揮させられるというか、
解決に向かうというかの様が、スカッと小気味いいのです。
特に最後は、今日の日にふさわしい話。
社交不安障害(赤面、人に見られていると文字も書けない)を「克服したい」。
「でないと東京に負けて逃げ帰ったみたいで…」という、
お国訛りの強い地方出身の大学生裕也に、
Dr.伊良部:「平気、平気。社交不安障害はほとんどが十代で発症して、
二十五歳くらいまでには収まるんだから」。
「人生、勝ったも負けたもないの。動物を見習うといいよ。生息地がちゃんとあって、そこから出ないようにして生活してるでしょ?仮に狸が都会に紛れ込んでしまった場合、自分は都会の暮らしを克服したいなんて言い出すと思う?来るとこ間違えたって、急いで帰るだけじゃん」。
「都会で別の自分を見つけよう、なんて発想が神経症の根源なの。
これからはタヌキになって楽に生きようね。いいね」。
と言いつつ、「恥を捨てる練習。社交不安障害の一番の要因は、恥をかくことへの恐怖心だから、まずそれを克服する」ための実施日に指定されたのが、
10月末のハロウィンの日@渋谷。
他にも集められた不登校の男子中高生たちと、ほぼ裸に近い、
南の島の民族衣装のような腰巻、ふんどし、短いチョッキを着用させられた裕也。
カメハメハ大王風のDr.伊良部が乗った神輿をみんなで担がされて、
センター街を練り歩き。
これで既に十分なはずなのに、
Dr.伊良部:「このままスクランブル交差点に突っ込むぞ!!」。
みんな:「先生、それはまずいんじゃないですか。警察に止められますよ」。
Dr.伊良部:「治療、治療」。
警官:「そこの神輿のグループ!危険ですから止まってください!」
それでも神輿は止まらない。
警察:「交差点に入らないで!無許可で路上に出ると、道交法違反になりますよ!」
裕也:「もういいや、行っちゃえー。『うおーっ』。
裕也は、渋谷スクランブル交差点の真ん中で雄叫びを上げた」(「パレード」)。
色んな意味で、良い子(大人も!?)は、全面的にはマネしないで下さい(笑)。
私も気を付けます(笑)。
でも読むと、なんか「うおーっ」の気分になれます。
ハッピーハロウィン🎃

